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震災から1ヵ月。
いまだに余震も止まず、原発も電力不足の不安も拭えない日々が続いているわけで。
備忘録、というわけではないけど、あの日の日記をさくっとここに載せておく。

 
 
2011年3月11日14時46分。LPGスタンドにまさに入構しようとしたその時、iPhoneが鳴ったので見てみると緊急地震速報。しかも立て続けに震度3以上が3回も。すぐに揺れが来たのでブースに入る手前で車を止めて収まるのを待とうとしたらどんどん揺れが大きくなり、慌てて車外に出る。今まで経験したことのないような大きな揺れ。車に手を添えつつ周りを見渡すと天王洲のビル群が目に見えて横に揺れている。本当に折れてしまうんじゃないかと思うくらい…。2〜3分間、いや、それよりもっと長く感じた揺れはようやく収まり、目に見える範囲での被害はないようすだったがラジオの音量を大きくして情報確認。アナウンサーが番組中断して落ち着くようにと呼びかけつつ、どうやら東北地方太平洋沿岸の地震であると判明。5分くらい待ってとりあえず給油は可能とのことで補充して休憩取りつつ情報収集しようと思ったが、すぐに首都圏の鉄道全線が運転見合わせと聞いてそれどころではないとすぐに移動開始。天王洲アイル交差点ですぐにお客さまを拾い、建物の外に避難してきたたくさんの人を見つつ、ものすごい渋滞に巻き込まれつつ営業。車に乗っていると地上とはいえ揺れは増幅されて気持ち悪い感じ。赤坂郵便局まで40分、すぐご乗車のお客さま北綾瀬まで2時間。北綾瀬から大塚まで1時間、大塚から志木まで川越街道もまるで車が進まず4時間かかり、そこでもう日付が変わる。どこを通っても未曾有の大渋滞な上、街道沿いは交通手段を絶たれ家までひたすら歩き続ける人々の長い列。ご乗車のお客さまは途中で疲れて眠られてしまい、外からは人が乗っていないように見えたためか歩く人々がこちらを見ては前部のサインを見て「乗れる?」「ごめんなさい、お客さま乗っています」とジェスチャーでやりとりする機会がたびたびあった。道中何度も余震を感じ、ふだんの営業中は消しているラジオも今日はつけっぱなしに。次々と被害情報が入り本当に深刻な地震だったことがわかる。深夜になって地下鉄を皮切りにようやく鉄道網が復旧しはじめたところがあったもののJRは早くから運休を決め、私鉄も距離の長い路線は動かずじまい。お客さまを降ろしたものの川越街道周辺から動けずようやく23区内に戻って空車に戻したところで案の定朝霞まで戻され、このまままっすぐ都心に戻ったのでは変わらないと判断し大泉を抜けて環八。すると井草からふたたび朝霞を経由しての東浦和までの2名様。戻りで通った赤羽駅前をちらっと見るとタクシー乗り場には長蛇の列ができている。そのまま通過してしまうことに胸が痛んだが、どこまで行くかわからず帰れなくなると困ると思い素通り。池袋手前から表参道、すぐ経堂までと繋いでタイムアップ。特例が許されるなら営業区域外でもお客さまを乗せたかったし、相乗りもしてほしかったし、帰庫時間気にせず営業し続けたかった。最大震度7、マグニチュードは日本で観測史上最大の8.8という驚異的な数字。そして時間が立つにつれ徐々に被害状況が明らかになり、東北地方の太平洋沿岸は最大10mもの大津波を受けて壊滅的な被害が拡がっていると…。なんと三浦海岸にも大津波警報が発令されていて、相方としばらく連絡が取れず少々心配だったけど無事だった。京急も止まっててお出かけしたけど久里浜から歩いて帰ってきたそうだ。とりあえずは無事でよかった。
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